八十里越にかけた西潟為蔵の情熱をよみがえらせ「為蔵と角栄」のNHK大河ドラマ化を目指す。

2023.01.06

明治初期、八十里越は荒れ果てた里道に過ぎませんでした。しかし、東京と新潟港を結ぶ最短ルートであり、太平洋側と日本海側の物資と人の往来の要路であると見抜いた西潟為蔵は、強い信念で県と国に開削を訴えます。測量予算が取れないと知ると私財を投じて自ら実施。そんな為蔵の先見性と実行力が今日の八十里越再生につながっています。地域の偉人をよみがえらせ、末長く後世に伝えようと「西潟為蔵会」を発足させ、活動に情熱をそそぐ理事長にうかがいました。

NPO法人西潟為蔵会
理事長 弥久保 宏さん Yakubo Hiroshi
駒沢女子大学教授、NPO法人西潟為蔵会理事長。1960年三条市生まれ。三条高校卒、早稲田大学大学院政治学研究科修了。英国エジンバラ大学、ロンドン大学、国連大学国際紛争研究所の各客員研究員を歴任。国際交流基金の派遣によりエジンバラ大学で日本政治の講義を担当。2012年より現職。専門は議会政治、比較政治、選挙制度。西潟為蔵の多大な功績が歴史に埋もれようとしているのに危機感を持ち、2019年にNPO法人西潟為蔵会を設立。地方創生の歴史的資源として地域振興に活かす活動を始める。将来はNHK大河ドラマの主人公にすることを目指している。

八十里越の基礎を築いた
三条の偉人 

ーー西潟為蔵会設立までの経緯を教えてください。

弥久保さん:10年ほど前の帰省の折、地元書店の郷土関係コーナーで為蔵の回顧録『雪月花』を立ち読みしたら、私の先祖の名前が頻繁に出てくるものですから購入して、実家の母に聞くと「為蔵の奥さんは弥久保家の本家から嫁いだ」というではありませんか。為蔵が一気に身近になりました。そこで、いち政治学者として調べてみると、自由民権運動の中心舞台で、板垣退助や星亨といった同志と共に伊藤博文や山縣有朋と渡り合った、私が思っていた以上の重要人物だったんです。それなのに地元でさえほとんど知られていない。憤りを感じ、仲間と西潟為蔵会を発足させました。


西潟為蔵(にしかたためぞう)
1845年(弘化2)~1924年(大正13)
三条市(旧下田村福岡)に地主の長男として生まれる。自由民権政治家。第1回帝国議会衆議院議員(2期)、新潟県議4期、明治の八十里越開削(現国道289号線県境部分)に私財を投じて貢献。旧新潟日報社の社長、旧制新潟高等学校誘致の功労者、新潟盲唖学校創設・運営メンバーの一人、県内の鉄道網の誘致や信濃川の治水にも尽力。政治活動で財産を使い果たし莫大な借金を残したため、子孫はその返済に20年をかけた。

ーー多岐に渡る為蔵の功績の中で、八十里越との関係で広く一般に知らせたいことは?

弥久保さん:八十里越は県道でも国道でもない里道でしたから開削のための予算が取れない。そこで為蔵は私財を投じて測量し、当時の山形有朋内務大臣に直談判して開削を実現させるわけですが、おかげでその後の日本海側と太平洋側の人とモノの交流が盛んになり、令和の八十里越、つまり国道289号線全通につながっているのですから、為蔵なしに今日の八十里越はなかったといっても過言ではないと思います。

為蔵という人は普段は調整型の控え目な性格でした。しかし一旦火急の一大事が生じると損得度外視で、あえて火中の栗を拾うタイプです。常に弱い立場にある人の幸福を考えた生き様も知っていただきたいですね。ここで語りつくすことはできませんので、為蔵会のホームページもぜひご覧ください。

為蔵が八十里越の踏査で作成した地図

こんなすごい人物が地元にいた!」

ーースケールの大きな政治家を生んだ地域性、風土があると思いますか。

弥久保さん:三条市下田地区の道の駅は「漢学の里しただ」ですね。大漢和辞典編纂者であり、天皇陛下の名づけ親でもある諸橋轍次博士の出身地だからですが、単なる偶然ではありません。ここでは地主の長男は小さい頃から四書五経を習うことで教養の基礎を身に付ける伝統が古くからあり、為蔵も例外ではありません。

五十嵐川沿いに開けた平野部が粟ヶ岳と守門岳という2つの勇壮な山並みに囲まれている起伏に富んだ地理的特徴も、情操豊かな子どもを育てる抜群の教育環境だと思います。それから私自身も同郷人として思い当たるところですが、雪国の人ならではの辛抱強さを、為蔵の不屈さに見出すことができると思います。

ーー西潟為蔵会の活動による成果をどうお考えですか。

弥久保さん:今のところ講演やフォーラムが中心ですが、これらに参加して為蔵の功績を知った人たちは例外なく「こんなすごい人物が地元にいたんだ」と感銘を受けますし、入会する人も増えています。2021年には三条市経済部営業戦略室の協力も得て、苔むしていた為蔵の顕彰碑の隣に解説板と誘導板を設置でき、おかげで顕彰碑を訪れる人が増えたそうです。

それから、明治の八十里越開削の会津側のカウンターパートだった長谷部保三郎の子孫や所縁の方たちと交流が生まれ、八十里越の開通を新潟県央と南会津地域の協働で地域振興に活かそうという機運が高まっているのも大きな成果です。

顕彰碑解説板除幕式

没後100年と八十里越全通の
チャンスを生かしたい

ーー為蔵をNHKの大河ドラマの主人公にしたいそうですが、物語の構想は?

弥久保さん:いつでもドラマ化できるほどに固まっています。タイトルは「為蔵と角栄」。前半は為蔵が、後半は田中角栄が主人公です。雪国の僻地では道路の整備こそが地域を活性化させる基盤であるとの理念で2人は共通しており、選挙区もほぼ重なります。「峠」という映画で、長岡藩の河井継之助が会津へ敗走した峠として八十里越が登場しましたが、初回の冒頭シーンは「戊辰北越戦争」で八十里越を敗走する河井継之助一行のシーンから始まります。

2024年は西潟為蔵没100周年、2026年は令和の八十里越が全通予定。為蔵が話題に上りやすくなるはずですから、チャンスを生かしたいですね。

 

ーーそれは面白そうです。最後に旅行者へのメッセージをお願いします。

弥久保さん:中国の故事に「飲水思源」があります。「井戸の水を飲むときは、井戸を掘った人の苦労を思え」ということ。旅する方々が一瞬でも先人に思いを馳せてくださったらと願っています。なお『八十里越ハンドブック』の刊行も企画中です。八十里越エリアの地理、歴史、観光スポットを自治体の枠を超えて網羅したガイドブックにする予定ですので、こちらもご期待ください。

<NPO法人西潟為蔵会>
〒955-0152 新潟県三条市笹岡1629番地 西川方
電話:070-4462-4437 FAX:0427-08-8024
メール: nishikatatamezokai@gmail.com

取材日/2022年12月14日
取材・執筆/ 北原広子
写真提供/西潟為蔵会