過酷な“酷道”から賑わいの“街道”へ ~再生する「国道289号八十里越」~ 後編

2023.01.25

  • 「国道289号八十里越」進められている工事の全容と経過

「前編」では、道路大好き道路マニアの目線から、全国屈指の“酷道”で自動車が通り抜けられない険しい峠道である八十里越が、地域に新たな賑わいと交流をもたらす「国道289号八十里越」として事業化されるまでの歴史を紹介しました。今回の「後編」では、2026年頃に見込まれる全線開通を目指し工事も大詰めを迎えつつある「国道289号八十里越」の全容と、2022年秋の最新の現場の様子をレポートしたいと思います。

 

▲国道289号八十里越の平面図と縦断図(「国道289号八十里越だより No.34」より)

八十里越は、新潟県三条市と福島県只見町を結ぶ越後山脈越えの峠道で、8里の道のりが10倍に感じられたというほどの険しい道ですが、江戸時代から明治、大正頃まではとても大勢の旅人が利用し、地域に賑わいをもたらしていました。その後、昭和45年に国道289号(新潟市~いわき市)に指定されましたが、現在も自動車の通れる道路がないため、その開通が強く期待されています。

現在、国土交通省、新潟県、福島県の協力によって建設が進められている「国道289号八十里越」の全長は20.8kmで、国土交通省が11.8km、福島県が7.8km、新潟県が1.2kmの工事をそれぞれ担当しています。このうち供用済(一般車両が自由に出入り出来る)は福島県施行区間の末端部1.1kmだけで、残りは全て工事用ゲートの向こう側にあります。

新道で最も標高が高い地点は海抜650mで、これは従来の八十里越の最高地点(鞍掛峠)よりもおおよそ300m低くなります。このような大きな高度の低減と、急カーブや急坂のない安全で快適な山岳道路を実現すべく、全長3173mの9号トンネル(仮称)をはじめとする多数のトンネルと橋が施工されます。トンネルは全部で15箇所(国施工11,新潟県施工1,福島県施工3)、橋は20箇所(国施工10,新潟県施工1,福島県施工9)もあり、特に国交省施工区間は道路の大半が橋やトンネルです。このことは貴重な動植物が多く棲息している沿道の自然環境を保全することにも寄与します。

日本屈指の豪雪地帯である越後山脈の真っ只中にある八十里越では、冬期間に5m以上の積雪を見ることが珍しくなく、7mも積もった記録があります。そのため道路を雪崩や吹きだまりから守るスノーシェッドやスノーシェルターといった大規模な防雪施設も10箇所以上施工され、冬期間も安全な通行が確保されます。

 

年度工事の主な経過
昭和48年度福島県施行区間が事業化
昭和61年度国土交通省(当時は建設省)および新潟県施行区間が事業化
平成元年度国交省施行区間のうち新潟県側工事着手(工事用道路の着工)
平成2年度用地着手(これ以下の項目は全て国交省施行区間のできごと)
平成9年度三条国道出張所開設、橋梁やトンネルなどの本線構造物が着工

八十里越だより発行開始(令和4年12月までに34号が発行済)

平成10年度8号トンネル(延長186m) 概成(※)
平成14年度11号トンネル(延長1,417m)、1号橋梁(延長239m)概成
平成16年度10号トンネル(延長138m)概成
平成19年度5号トンネル(延長665m)概成
平成21年度8号橋梁(延長60m)概成
平成24年度県境を貫く9号トンネル(延長3,173m)概成
平成25年度4号橋梁(延長131m)概成。「八十里越体感バス」運行スタート
平成28年度7号トンネル(延長949m)概成
平成30年度7号橋梁(延長33m)、6号トンネル(延長1,195m)、2号橋梁(延長190m)概成
令和元年度1号トンネル(延長733m)、3号橋梁(延長64m)概成
令和2年度6号橋梁(延長14.5m) 概成
令和3年度2号トンネル(延長504m・3号トンネル(延長168m)概成

今後5年程度で全線開通する見通しであることが発表される

※概成とは橋梁やトンネルの本体部分が完成している状況であるが、一般車両はまだ通行できない状況

▲旧塩野渕林道区間の“酷道”が工事用道路になった(八十里越だよりNo.1より)

昭和61年に建設省による事業が着手されて最初に行われたのは、現在の新潟県側工事用ゲートの位置より奥へ工事用道路を整備することでした。工事用道路として昭和45年に塩野渕林道から昇格した現国道289号が利用されています。工事用道路の整備は平成元年にスタートし、未舗装の林道同然だった“酷道”が、大型の工事用車両も通れるように補強・拡幅されました。しかし現国道が工事用道路として利用されたため、それ以来今日に至るまで一般車両の通行は制限されており、この区間は道路ファンが走りたくても走れない、“まぼろしの酷道”になっています。

工事用道路が完成したことで、平成9年から新潟県側で新道を構成する土工や橋やトンネルの建設(これを本体工事といいます)が始まりました。ここまでで建設省による事業化から11年かかっています。本体工事は麓に近い1号橋梁と、奥地の県境に近い8号トンネルでほぼ同時にスタートしました。奥地へのアクセスは先に整備した工事用道路が生命線です。このように奥地の工事を先回りさせることで、麓から一方向に進めるよりも工期が大幅に短縮されます。

▲平成25年5月の深い残雪に埋れた現場(秘境八十里越体感バス・パンフレットより)

しかし、工事を進めるうえでの大きな障害がありました。それは先にも述べた豪雪です。八十里越の工事は例年11月下旬から12月上旬に積雪のため中断され、翌春5月中旬の雪解けを待ってから野鳥の営巣状態のチェックなど、環境調査を行ってから再開されています。年の半分近くは休工せざるを得ない厳しい自然環境が、八十里越の工事期間が長期化している大きな原因です。

▲豪雨によって破壊された建設中の7号橋梁橋台(八十里越だよりNo.23より

▲豪雨によって被災した工事用道路 (八十里越だよりNo.23より)

また、工事期間中の平成16年と平成23年には大規模な豪雨災害に見舞われました。地域に大きな爪痕を残したこれらの災害では、山中の工事現場や工事用道路も被害を受け、それぞれ2ヶ月程度の休工を余儀なくされています。特に只見線を長期運休に追い込んだ(平成23年7月新潟・福島豪雨では、建設中だった7号橋梁の橋台が流出したほか、現場に取り残された作業員を自衛隊ヘリが救助する緊迫の一幕もありました。

このようなさまざまな障害にぶつかりながら工事は続けられました。中でも県境の稜線を貫く9号トンネルは最大の関門でしたが、平成14年8月に新潟県側から掘削を開始し、8年後の平成22年10月に貫通。その後も工事が進められ、平成24年には概成しました。

県境のトンネルが概成したことで、このトンネルと工事用道路を利用して一般の車両が峠を越えて行き来するという、全国的にも非常に珍しい取り組みである暫定的な活用が、三条市や只見町の関係者などからなる八十里越道路暫定的活用検討懇談会が中心となって議論されました。開通が楽しみで待ちきれないという地域の熱がヒシヒシと伝わってくる取り組みです。その結果、平成25年度から三条市が企画する「秘境八十里越体感バス」が毎年の運行をスタートしました。

▲地図の出典:国土地理院(https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

 

このツアーは一般参加者を対象とした工事見学バスツアーであり、半日便と1日便がありますが、どちらもツアー客を乗せたバスは特別な許可を得て新潟県側から工事用ゲートに入ります。そして9号トンネルで県境を越え、福島県の空気を開通よりも一足先に味わうことが出来るものとなっています。私は令和4年11月にこのツアーの半日便に参加し、着工から36年が経過した国土交通省施行区間の現状をこの目で見ました。次の章ではこの刺激的なツアーの模様をレポートします!

 

  • 「秘境八十里越体感バス」で、道路が主役の賑わいを見た!

秘境八十里越体感バス」は事前予約制です。私は令和4年11月13日(日)の午前中に走った「半日便」に参加しました。この日は「半日便」だけでしたが、コースが異なる「1日便」が運行する日もあります。年によって運行日や運行回数が異なり、また工事の進展によって見学の内容も変りますので、ツアーに興味を持たれた方はぜひ三条市公式観光サイトのイベント年間スケジュールをこまめにチェックしてみて下さい。令和5年以降も開催されると思います。

三条市の「道の駅漢学の里しただ」にある秘境八十里越体感バスの発着所。これが常設された施設であることにこの取り組みへの関係者の本気度が感じられる

 

4台のバスに分乗してツアー参加者一行約80名は県境のトンネル越えを目指した

 

誇らしげに掲示された「八十里越 通行証」には「国道289号」を示すお馴染みの“おにぎり”マークが!

 

予約した午前9時出発の便に乗車すべく、8時半前に発着地点である三条市の「道の駅 漢学の里 しただ」に着きました。国道289号沿いの景勝地八木ヶ鼻近くにある、このバスツアーと同じく平成25年に誕生したまだ新しい道の駅ですが、八十里越の越後口としての長い歴史を有する下田郷地域の「文化と食の里」として親しまれています。私が到着した時点で既に大勢のツアー参加者が集まり、産直売り場でお買い物を楽しんでいました。そして場内の「八十里越体感バス発着所」の表示がされた駐車スペースには、朝日に照らされた4台のバスが「八十里越通行証」を誇らしげに掲示した姿で揃っていました。

▲満席の車内。ボランティアガイドさんの名調子が旅を盛り上げてくれる

 

手続きをして乗車します。私は2号車の乗客になりました。各車には八十里越に精通された地元のボランティアさんが添乗し、走行中は楽しくためになるガイドで旅を盛り上げて下さいます。募集定員いっぱい約80名の乗客が4台のバスに分乗しました。このツアーはとても人気が高く、だいたいは募集開始後すぐに定員に達するそうです。そして平成25年のツアー開始以来、延べにして10000人以上が参加しているとのことで、この数字には正直驚きました。マジか! 凄いなこの人気は!

不肖このヨッキれん、あまりに慣れ親しんだ「道路の力」というものを少々見くびっていたか。これは私の個人的感想だけど、道路は良くも悪くもハコモノの代表で、あって当然空気のような存在で、どこでも大切にはされているけれど、それが主役になって、こんなに大勢の人たちを地域に呼び込む資源として活用されているというのは、なかなか聞いたことがない。人気の観光地が主役としてあって、そこへ行くために大勢が利用する脇役が道路というのではない。道路が主役であるのがこのツアーだ。工場見学や工事現場見学といった社会科見学系のツアーは昨今確かに人気があって、各地で開催されているけれど、道路の工事現場見学ツアーで常設的に毎年開催されるものは珍しいし、それが毎回のように満席になっているというのは……、感心しました!

定刻通りの午前9時に出発したバスは、国道289号を福島県只見町を目指して突き進みます。沿道の集落が尽きるとすぐにダム湖が現われました。平成5年に完成した大谷ダムです。湖畔の国道はダムと同時期に整備された快走路で、この先が行き止まりの“酷道”だということは案内標識以外で予感できませんが、さすがに交通量は少ないです。あと数年もすれば、この行き止まりの快走路は本来計画されている交通量を獲得して目を覚ますのでしょうね。楽しみだなー、道よ!

▲ツアー当日の早朝に先回りして撮影した大谷ダム湖畔の国道289号。あと1kmほど進むと工事用ゲートがあって通行止。「体感ツアー」はその先に進むことができる

 

午前9時17分、道の駅を出発して20分弱でバスは「国道289号八十里越」の工事区間の入口に着きました。ここに工事用ゲートがあり、許可証を持つ関係車両や工事用車両だけが進むことが出来ます。このタイミングで乗車時に渡されたヘルメットの着用がアナウンスされました。工事用ゲートの中では車内にいるときもヘルメットを着用するルールです。またゲートの中では車列の先頭に国土交通省の先導車が付きます。ゲートを越えるときの車内の雰囲気は、境界を越えて新たな世界へ入り込む独特の緊張感があり、ぜひ集中して味わいたいこのツアー独特な魅力の一つだと思います。

▲工事用ゲートを過ぎた直後の車窓前面風景。正面には新潟県施行区間の道路がほぼ完成しているように見えたが、バスはここから右折して最初の見学地を目指した

 

二度ほど小停止しつつゲートを越えたバスは、新潟県が施行している新道区間の入口を脇目に、最初の見学地である馬追沢上流を目指して工事用仮設道路へ入ります。仮設道路も舗装はされていますが、かなりの急坂とカーブが続く1車線道路です。しかし後ほど現国道の“酷道”ぶりを体験すれば、この辺は長閑な道路だったと振り返ることが出来るでしょう。

 

  • 最初の見学地点「3号橋梁」で、未来の八十里越を大展望

 

9時30分、工事用ゲートを通過して約10分で本日のツアーにおける最初の見学地点である「4号大盛土・3号橋梁」にバスは到着しました。ツアー参加者はこれから車外に出て本日の現場を案内してくださる国土交通省の職員さんより工事の進み具合や構造物の見どころなどの説明をいただけるとのこと。

初めてバスのドアが開いて外へ出るときはドキドキしました。ここまでも車窓から新道の橋や盛り土が見える場所はありましたが、これから下り立つ場所は、開通を前にした国道の路上です。道路の工事現場を目にすることは多くても、その中に身を置くというのは一般の道路利用者である私にとっては非日常の体験です。しっかりとあごひもで身につけたヘルメットも非日常感を高めます。これは決してツアーの演出ではなく、工事現場内における普遍的なルールに則ったものですが、工事関係者の協力があって初めて実現した特別なツアーであることが感じられます。

覚悟を決めて外へ出ると、そこはまさしく“未来の八十里越”を全身で味わう、大パノラマ展望台でした。

▲最初の見学地から見る三条側の新道風景。3号橋梁の奥に4号トンネルが口を開けている。足元は4号大盛土と呼ばれる巨大な土工だ

 

▲同一地点より眺める、馬追沢の大パノラマ。奥にあるのは2号橋梁と2号トンネル。眼下の道はいま上ってきた工事用仮設道路だ

 

最新の道路地図帳や地形図を見ても、この馬追沢の周辺には、谷を囲む密な等高線と、山仕事に使われた歩道くらいしか描かれていませんが、眼前に広がる現実の光景は地図とは全く異なっていました。高らかに谷を跨ぐ橋たちと、岩山をものともしないトンネルたち、それらを束ねて山河を駆ける近未来の八十里越の雄姿が、惜しげもなく展開していました。思わず、大地は道路のキャンバスだ!! と私は心の中で叫びました。こういう道路を設計して完成させるのは、地球を舞台とした最も贅沢な仕事に思えます。

枯葉色が目立つ山肌に、白いコンクリートの真新しい道路構造物たちがとても映えて見えました。麓よりもこの辺りの秋が進んでいるのは当然で、一帯の海抜は370mほどあり、スタート地点の道の駅より300m近く登っていました。

▲各見学地には工事区間の全体図が用意されていて、この前で工事の説明や質疑応答が行われた

 

▲あらゆる障害を克服しながら道を完成させる、プロフェッショナルの背中を見よ

 

この馬追沢周辺は、一連の工事で最も後に着手したエリアで、ここから見える2号、3号、4号トンネルが令和3年に相次いで貫通したことで、国交省施工区間にある全トンネルが貫通しました。実際にこうして風景を眺めてみると、見える範囲の道は全て繋がっている様子で、本当に完成が近いんだなと感じました。

 

  • 第二の見学地点「5号橋梁」は、国内有数の高さを誇る!

▲五十風川源流のV字谷にへばり付く現国道の険しくも美しい道路風景。工事用道路として奥地の工事を支える重要な存在だ

 

再びバスへ乗り込んだ私たちは、登ってきた工事用仮設道路を一旦下って、いまは工事用道路として使われている現国道へ入ります。もとは塩野渕林道として昭和30年代に整備された道路であり、国道昇格後には“酷道”として道路ファンに知られていた道路でもあります。

私は今回初めて、この“まぼろしの酷道”となっている区間を体験しましたが、工事用道路として整備された後でありながら、急勾配のヘアピンカーブや、五十嵐川の絶壁の縁をすり抜けるような狭路が随所にあり、鮮やかに色づいた樹木を縫って現われるガードレールの行方にハラハラし、カーブを曲がるたびに展開する新たな景色にワクワクが止らない、とてもハードな山岳道路でした。

ここはいつかまたバスではなく、我が相棒の自転車でも体験してみたい区間ですね。なお、この“酷道”の雰囲気を“酷道ファン”向けに分かり易くたとえるなら、国道157号温見峠の岐阜県側を彷彿とさせるものと言えば伝わりやすいんじゃないでしょうか。

近い将来、新道が開通したあとに、この“酷道”区間が再び一般に開放されるかは正直分かりませんが、このツアーに参加することで一度は体験ができますので、私のように走りそびれてきた“酷道”ファンにはお勧めしたい、このツアーのポイントの一つです。

▲車窓にぬぅっと見えてきた5号橋梁。大谷川を渡る橋だが、山のてっぺんからてっぺんに渡る橋と思うくらい高い!

 

現国道は切り立った大谷川の右岸と左岸を高い橋で行き来しながら、源流へと入り込んでいきます。やがて谷が少し広がり、奥に明治以前の八十里越街道が通っている高い稜線を見晴らせるようになると、高い橋という言葉ではとても片づけ難いキワメテ高い橋が、その稜線をバックに現われます!

 

 

現われたのは、「国道289号八十里越」で最大の長さと高さを誇る5号橋梁です。そしてツアー第2の見学地点は、この橋を支える窓のない高層ビルのような巨大な橋脚の真下に用意されていました。

▲5号橋梁を支えるP2橋脚。全長337mの5号橋梁はP1、P2、P3の3本の橋脚で支えられており、P2は高さ81mの新潟県では最も高い橋脚だ

 

▲P2橋脚の下から見上げる上空の橋桁。こんなに太い橋脚だが内部は空洞になっていて、耐震性能にとても優れているそうだ

 

▲月並みな表現だけど、天翔る橋とはこういうものをいうのだろう。奥にひときわ高く見えるのは烏帽子山で、その中腹を昔の八十里越街道が通っている

 

▲見上げるP3橋脚。橋はそのまま7号トンネルへ通じている。見学中ずっと打ち上げ花火を見るときの首の角度になっていた

 

10時15分、5号橋梁を支える3本の橋脚の中で最も高いP2橋脚の直下にバスは停車し、2度目の見学タイムとなりました。5号橋梁は全長337m、五十嵐川の谷底からの高さが115mという、完成すれば「国道289号八十里越」で最も長く、新潟県で最も高い橋となります。全国的に見てもトップクラスの高い橋です。またP2橋脚は高さが81mあり、新潟県で最も高い橋脚です。これは建物の25階くらいの高さです。

▲建設中のP2橋脚
(八十里越だよりNo.28より)

月並みな表現ですが、下から見上げたその雄姿はまさしく天翔る橋! いまのところ国交省施工区間内の橋やトンネルの名前は全て仮称ですが、開通時にはきっとこの姿に相応しい名前が与えられることでしょう。

5号橋梁の建設にも長い期間を要しています。平成24年に、険しい谷あいに巨大な橋脚を建設するための準備工事がスタートし、平成27年6月から3本の橋脚を建設する下部工事が始まりました。令和元年にこれが完成すると、引き続き長さ337mの橋桁を架ける上部工事がスタートし、令和3年にやっと橋桁が両岸を結びました。令和4年は橋上の路面などの工事が進められていました。

 

▲送り出し工法によって架設工事中の5号橋梁。奥は福島県側の7号トンネル。巨大な桁の本体や手延べ機という巨大な仮設構造物は、分解された状態でトンネルを通過してから橋上に収まった(八十里越だよりNo.33より)

 

なお、高い上空での桁の架設作業には、新しい工法である送り出し工法が用いられました。従来の工法では、桁の架設位置に仮の足場を作って上空で桁を組み立てたり、地上で組み立てた桁を巨大なクレーン車で架設位置へ持ち上げたりしますが、高さ80m以上の高所の作業となるため、クレーン車の利用は困難でした。

5号橋梁で行われた送り出し工法では、架設位置に隣接する7号トンネル内に組み立て前の桁材を仮置きし、そこで組み立てた桁を橋台から対岸へ向けて少しずつ送り出していきました。最終的に337mの主桁が対岸の橋台までまっすぐ送り出されて1本の橋となったのです。これは極めて大掛りな準備と精密な作業を要する難工事でしたが、八十里越にはこうした最新の工法など、将来へ伝えていくべき我が国の高度な土木技術が惜しげもなく投入されています。

▲これは八十里越街道(明治新道)から俯瞰した新道風景。左に見える大きな橋が5号橋梁、右奥の白っぽいところが橋桁を組み立てたヤード(第3の見学場所)。両者の間に7号トンネル。山肌に見える細い線は工事用道路(現国道)だ

 

▲5号橋梁の望遠写真。手前が新潟県側6号トンネル、奥は福島県側7号トンネル

 

  • 第三の見学地点「8号トンネル」は、県境突破の巨大な作業基地

▲工事用道路として利用中の三の滝隧道。(写真は長岡国道事務所提供)

 

圧巻だった5号橋梁をあとに、バスは工事用道路である1車線の“酷道”をさらに進みます。ぐんぐん高度を上げながら右へ左へ忙しくカーブしていくと、やがて一瞬だけ車内が薄暗くなりますが、このときバスは狭くて短い「三の滝隧道」をくぐっています。これは塩野渕林道にあった唯一のトンネルで、昭和34年に完成しました。“酷道”の名脇役ですが、こんな30mばかりのトンネルで八十里越に挑もうとしていた時代があったのだと思うと、令和に誕生する新たな八十里越の壮大さが際立ちます。

10時35分、最初の見学地以来久々にバスが新道の路上へ辿り着くと、そこが第三にして新潟県側最後の見学地、「8号トンネル」でした。正確には、8号トンネルと7号トンネルの間にある造成された広いヤードが見学の舞台で、ここは「国道289号八十里越」で一番長い県境の9号トンネルと、最大の橋である5号橋梁という二つの大工事の拠点となった、奥地における重要な作業基地でした。平成元年に整備が始まった工事用道路が目指したのもこの場所で、8号トンネルは一連の工事で最初に概成した構造物です。またツアー的なお話しをすると、ここが道中唯一のトイレ休憩場所でした。

▲車列先頭のバスは8号トンネルに半分入って停車した。一連の工事の初期に概成した構造物であるためか、コンクリートの風合には年季が伺えた

 

▲8号トンネルの「銘板」には1998年の竣工年が刻まれていた。20年以上前に完成したトンネルが未だに供用されていないことに、この工事の長さを感じる

 

▲新潟側を振り返ると7号トンネルがある。5号橋梁の巨大な桁材はこのトンネルをくぐって橋へ向かった。そしてここは新道上で唯一、旧来の八十里越街道の道を眺望できるポイントだった。写真左奥の枠内を望遠すると――

 

▲矢印と矢印の間にうっすらと道形が見える。あれが八十里越街道(明治新道)

 

▲これは“反対”に、明治新道の路上から撮影した8号トンネル前ヤードの望遠写真

 

ヤードの標高は約550mあり、下界では盛りであった紅葉はもう終わっていました。今年の工事も雪によって中断される日がまもなく来るのでしょう。長らく工事の賑わいの中心だったヤードですが、今日は日曜日で、周囲の主な構造物も概成しているためか工事用車両の姿はほとんどなく、静まりかえっていました。

そして四方の山々をよく見晴らせるこの土地からは、明治23年に完成した八十里越明治新道の道形が、西側の稜線のはるか上の方、海抜800m付近にとてもよく見えました。ここは明治(八十里越街道)と昭和(塩野渕林道)と令和の3世代の八十里越が交歓する秘かな舞台のようでした。

さあ、ツアーもいよいよクライマックス、福島県の空を見に行くときが来たようです!

 

  • 第四の見学地点「7号橋梁」で、只見の景色の始まりを見た!

▲8号トンネルから福島県方向を覗き込む。光は見えないが、雪のように冷たい風が吹き出していた

 

再び出発したバスは、ゆっくりと8号トンネルへ吸い込まれました。このトンネルは全長186mと短いですが、前窓に出口は全く見えません。前照灯に照らされた白いコンクリートの路面が、見渡す限り続く闇の奥へ伸びていました。実は8号トンネルと次の9号トンネルの間にある短い地上区間は、スノーシェルターというトンネル形の覆道になっており、これらは外見上繋がった1本のトンネルのようになっています。だから8号トンネルに入った時点で新潟の空は見納めであり、気付けば県境の9号トンネルに入っていました。

9号トンネルも概成していますが、路面は一部未完成で、照明もこれから設置されます。先導車に導かれた4台のバスは、2車線幅の巨大なコンクリートの回廊を一列になって、さながら徐行運転の地下鉄のようにゆっくりとした速度で、深く、深く、深く、奥深くへと、闇の中を進んでいきました。

県境の稜線を最大で420mの土被りをもって貫通する9号トンネルは、その規模においても工期においても、本事業中最大の関門であったとみられます。掘削は平成14年7月に新潟県側から始まり、福島県の空を目指すトンネルマンたちの地道な格闘が続けられました。4年後の平成18年8月に掘削距離が1702mとなり、地中で県境を通過しました。そしてさらに4年が経過した平成22年10月、ついに3173mのトンネルが貫通して歴史上初めて八十里越がトンネルで結ばれました。その後も工事が進められ、平成24年にこのトンネルは概成しています。

このように長大なトンネルは、両側から同時に掘り進められる(迎え堀り)ことが多いのですが、福島県側の道路がトンネルまで辿り着いていなかったため新潟県側からの片押しで掘り進められました。その関連もあると思いますが、サミット(勾配が上りから下りに変る峠の頂上)がトンネル内になく、新潟側から福島側へ上り続ける片勾配のトンネルとなっています。そのため両坑口の高さには100m以上の高低差があります。

トンネルへ入ってから5分ほど走ったところで、地中の県境を通過したことがアナウンスされました。ついに福島県に入ったのです。とはいえ、地中ですから実感はまだ乏しい。ですが、ゆっくり走ってもたった5分で県境を越えました。これがトンネルの力というものです。入口から山登りで稜線を越えようとしたら、道があっても3時間はかかるでしょう。実際、八十里越街道を歩いて越える所要時間は、健脚でも12時間以上といわれ、私はその3倍も使って越えたことがありますので、この早さには感動ひとしおでした。しかし、地中を掘り進んだトンネルマンたちは4年をかけて県境まで辿り着いたのであり、その苦闘が偲ばれます。

そして更に5分が経過した頃、見えてきました! 光!!

 

▲トンネルへ進入して10分後、車の前方に微かに白い光が見えだした

 

▲あれが全工事関係者が夢にまで追い求めた、県境を越えた光だ!

 

▲タイムトンネルのような幻想的な明り窓(ルーバー)をくぐって、出口へ!

 

11時05分、おおよそ10分ぶりに辿り着いた地上は福島県只見町、叶津川源流の谷の中でした。道の駅を出発して2時間とちょっとでバスは県境を“越えて”福島県に辿り着きました。誕生以来、自動車交通にとって絶対の障害であり続け、全国第二位の長さ19.1kmの自動車交通不能区間を有する八十里越が、ついに克服されようとしている。そのことを最も強く実感できたのが、車の中で会津の光を浴びたこのときでした。

9号トンネルを出ると、バスはすぐに停車しました。半日便ツアーにおける福島県側の唯一の見学地「7号橋梁」は、まさにトンネルを出たその場所に架かる橋です。また、この橋は新道で最も標高が高い地点であり、海抜は650mあります。新たな八十里越の峠の頂上は、叶津川の谷の底にあるのです。昔の旅人がそのことを知ったら仰天するでしょう。

▲雪のような色をした空の下、アバランチシュートの荒い山肌の底に、真新しい道路が生まれつつある。完成すれはここもロックシェッドの内部になり、空は見えなくなる

 

▲叶津川を渡る7号橋梁はスノーシェルターの中にある。対岸は県境の9号トンネル。新たな八十里越の峠の頂上は、この橋だ

 

▲半日便のツアーはここまでだが、1日便はこのまま只見側の工事用ゲートを越えて只見の市街地まで運行される。福島県側の工事も順調に完成へ近づいている

 

▲見学地の間近に見えた小さな滝。道路の周辺にも手付かずの自然環境が残っている

 

▲7号橋梁で表示したGPSログ。まだ地形図に描かれていないトンネルで県境を越え只見の入口に足跡を印した。地図の出典:国土地理院(https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

 

「7号橋梁」の見学時間は10分弱で、それが終わるとすぐにバスはまた長い長い県境のトンネルへ逆戻りします。工事が進んで、道路上にスノーシェッドやスノーシェルターが出来たことで、見学場所からの見晴らしが利かなくなっていると、案内の職員さんは参加者を慰めてくれましたが、なるほど確かに7号橋梁には観光地のような見晴らしの良さはありません。この眺めだけで、「自然首都」を標榜する只見の美景を知ることはできないかも知れません。

でも、私にとっては十分過ぎる至福の10分弱でした。県境を車で越えて、只見町の地上にひょっこり現われることが出来たのです。それだけで、八十里越の開通を楽しみにしている私……いや、多くのツアー参加者にとって、十分な体験だと思いました。これこそが、車窓や風景が主役ではない、道路が主役であるツアーにおける「満足」の形だと、私は持参したGPSの画面に表示された叶津川の源流にポツンと表示された「現在地」を宝物のように見ながら思いました。そして、参加者たちの興奮度の高まりと熱中は、この見学場所で最高潮に達したことを感じました。

一瞬だけ味わった只見の谷の白い空は、私の道路旅における一生の記念になりました。

 

  • 最後の見学地点「ぼた橋」を経て、帰還~

帰りは来た道を戻りますが、工事用道路となった現国道上にあり往路では通過した「ぼた橋」が、最後の見学地になっていました。大谷川の峡谷が最も険しく狭まっている地点に架かる鋼鉄製アーチ橋も塩野渕林道の忘れ形見です。この道が開通した当初から紅葉の名所として著名だったそうですが、険阻な“酷道”とセットになった表裏一体命がけの美景でした。

▲ぼた橋から見下ろす五十嵐川源流の一大峡谷。氷雪に磨かれた天与の彫刻

 

ここまでの見学地は全て新道でしたが、最後に、新道が開通すれば旧道になる現国道を見学するのは、「いままでありがとう」の言葉を掛けるための采配かなと、優しい気持ちになりました。もちろん、掛ける言葉は自由ですよ。私は、「おつかれさま。これからもよろしくね」と伝えてきました。

▲「榾橋」と書いて「ぼたばし」と読む

 

▲工事用道路としての激務にも耐え抜いた老橋を、晩秋の紅葉と、道を愛する旅人たちが、慰めていた

 

ぼた橋で全ての見学が終わりました。12時03分に新潟側工事用ゲートを通過し、おおよそ2時間半ぶりに工事区域の外へ出ます。ヘルメットを脱いで、余韻に浸っている間にバスはスタート地点に戻りました。12時25分、解散。「国道289号」の少し未来を先取りにした参加者たちは、この道とともに生きる道の駅の賑わいへ、少しだけ名残惜しげに消えていきました。

 

  • 体感バスツアーに参加して感じたこと ~道と地域の幸せな関係~

道がこのうえなく愛されている姿が見られて、幸せ!

建設が進む「国道289号八十里越」が魅せてくれた、現代の土木技術の粋を結集したスマート&ダイナミックな新しい道の姿も、老兵たる“まぼろしの酷道”が魅せてくれた、いぶし銀の山岳道路風景も、ツアーの外で歴史の街道・八十里越が魅せてくれた、過酷と哀感が混ざり合った峠の情景も、どれも八十里越への私の愛着を深めさせる大きな魅力を持っていましたが、今回ツアーに参加して一番に心を動かされたのは、道がとても大勢に愛されている姿を目の当たりにしたことです。

道が「愛されて」というのは、道を普段から愛しすぎている私の極端な表現かも知れませんが、事業が始まってから30年以上も継続していて未だ開通していない、しかもまだあと数年はかかるという道路を対象とした有料のバスツアーが、2013年からこれまで10年間欠かさずに継続され、そこに延べ10000人以上が参加していることに素直に驚きました。一つの道路がこんなにも多くの関心を継続的に集めているのは凄いことだと思います。

全国には、八十里越と同じようにまだ繋がっていない未開通の道路がたくさんありますが、それらの道にもし心があったら、羨ましい! 八十里越のように自分もなりたい! そう思うに違いありません。未開通ということは、道路のアイデンティティの重要な部分の喪失であり、開通を自ら願っていない道はないと思います。

新たな八十里越の開通は、かつて八十里越が栄えていた時代の「賑わい」を再び地域にもたらすことを期待されていますが、実は開通前でありながらもう大きな「賑わい」を生んでいます。このように開通前の道路が、建設の賑わいだけではなく観光の賑わいを生むことは、自然発生的なものではなく、関係者の努力の賜物といえます。

バスツアーに関していえば、2010年の県境トンネルの概成をきっかけに、暫定活用という新たな考え方で建設中の道路を利用したバスツアーを継続的に行おうというアイデアが生まれなければ、そしてアイデアを形にする綿密なミーティングがなければ、ツアーからの賑わいは当然生まれませんでした。ここには、道路は工事が終わるのをただ待っていれば良い、道路が出来れば自然と誰もが利用するし、そこに賑わいが生まれるというような受け身の姿勢は感じられません。とても積極的で、具体的です。

ツアーを企画した三条市としては、ツアー参加者に八十里越事業の必要性や 目的を知って、福島県の近さを体感してもらい、早期開通に向けた気運を高めること、日頃は体感できない土木技術の迫力や、工事期間中しか見ることができない自然景観等、非日常の特別感・満足感を観光資源に結びつけ、交流人口拡大を図ることを目的としているといいます。

一方、ツアーを受け入れる側である長岡国道事務所は、参加者に事業の効果や必要性、現在の状況を確認してもらうことで、事業への理解と協力、土木技術の継承・啓発につながることを期待しているとのことでした。

私たちはついうっかり、道を当然あるべきもののように享受してしまいます。確かに道はそこにあるだけで十分に便利で恩恵が大きいので、目の前にある道路を、過去に計画し、作り上げ、維持管理を続ける、そんな仕事に関心を向けるきっかけはなかなか作りづらいですが、道路と関わる仕事をしている人たち(道路の中の人たち)だって、もっと関心を持って欲しいと思っているはず。道路が主役であるこのツアーに参加することは、そんな彼らの活躍ぶりを間近で見るまたとない機会でもありました。

地域が道を支え、道は地域を支える、この関係性は、かつてはとても直接的でした。軒先の道路が崩れていたら、自分で道具を持って直し、道の利便性を率先して享受する。必要な道路があれば、自ら寄付をして事業費の足しにする。これらは道路の自普請です。八十里越のあんなに長い道のりも、明治や大正頃まではそうやって維持されていました。

現代では、道路の整備や維持管理の主要な部分を沿道の住民が直接に行うことはまずありません。道と地域の関わり方の濃さが薄れているのは当然だと思います。しかしそれでも、その関係性を密なものにする手段はたくさんある。そのことを私は今回の八十里越をめぐる調査で目の当たりにしました。八十里越に対する地域の関心の大きさは、バスツアーの人気からももちろん読み取れますが、地域の関係者が制作に関係した八十里越に関する文献の多さや、八十里越街道の沿道各所の案内板や手作りの道しるべの豊富さなどからも、関心の深さと密度を実感しました。

ここには、道と地域の希薄な関係性や無関心は感じられず、支え合う愛情が見て取れました。これが道と地域の幸せな関係性というものではないでしょうか。

これから数年後、待望された八十里越全線開通の日が来ます。昭和と平成に辿り着けなかったゴールはいよいよ間近です。しかし、これまでに積み上げてきた八十里越を核とした地域の賑わいと交流は、そこからが第2ステージとなります。きっと地域の人たちは忙しくなると思います。いまよりももっと楽しく充実した日々が来るのではないでしょうか。長らく“酷道”だった八十里越を支えて立ち直らせた苦労が報われると信じています。

私も当然また来ます。少しだけ愛が重い一人の道路利用者として、今度は自らの足でトンネルを走り抜けたいと思います。

最後に、八十里越地区工事関係者連絡会議が平成9年より発行している工事の進捗を伝える機関誌「八十里越だより」から、私の大好きな一文を紹介して締めたいと思います。これは6号トンネルの完成を伝える記事の一文です。

 

「将来八十里越が開通し、6号トンネルを通行する際には、さまざまな苦労や喜びの詰まった6号トンネルをじっくり味わって走行して下さい。」

 

こういう願いが、全ての橋とトンネルと、道にある全てのものには宿っています。

開通がとても楽しみです!

 

 

  • 国道289号八十里越DATA

八十里越とは、新潟県三条市と福島県只見町結ぶ越後山脈越えの峠道で、八里の道のりが10倍の八十里に感じられたということからそう呼ばれるようになった。現在開通工事が進められている「国道289号八十里越」の全長は20.8kmで、国土交通省が11.8km、福島県が7.8km、新潟県が1.2kmの工事をそれぞれ担当。工事が完成すれば、車両の通行できなかった区間が解消されることで、地域へのアクセスが大きく向上すると見込まれている。

 

この記事を書いた人

平沼義之(ヨッキれん)
1977年まれ。秋田県在住。三度の飯と同じくらい道路が好き。世の中から忘れられてしまった廃道が大好物のオブローダー(廃道探検家)。全国の廃道をはじめとする一風変わった道を探索してサイト「山さ行がねが」で発表している。著書「日本の道路122万キロ大研究」(実業之日本社)ほか。廃道の楽しさを凝縮したトークイベントも随時開催。直近は2023年2月11日に開催予定(チケット発売中)。詳細はこちらから。

山さ行がねが:https://yamaiga.com/